暁月夜譚

まほろばの蝶


[chapter:壱ノ巻]

 蝶屋敷に冨岡義勇(とみおかぎゆう)が足を運んだその日、仏壇に静かに花を手向ける彼の姿があった。
「有り難うございます」
「……いや」
 栗花落(つゆり)カナヲの方へ向き直り、義勇は切り出した。
「……栗花落に頼みがある」
「頼み、ですか」
胡蝶(こちょう)の鍔と一緒に置いて貰えないだろうか」
 すっとカナヲの方へと己の鍔を置く。あの決戦の際に義勇の刀は折れ、無限城後から隠が彼の鍔を探し出し持ってきてくれた。もう刀の一部となることはないだろうが、これをせめて側に置いて欲しいと願う。
 彼の様子を眺めながら少女は静かに義勇の方へと戻しながら言った。
「……ここにしのぶ姉さんの鍔を置くよりは水柱様が持って下さった方が姉さんも喜ぶと思います」
「……俺はさほど長生きは出来ない。後俺はもう水柱ではないから冨岡で構わない」
 痣が出ている者は二十五歳以降は生きながらえないと知っている。無惨戦でも相当の傷を負っている事を考えてもそれは妥当だと感じていた。
 それなのに妹から姉の形見を貰うわけにはいかない。
「それでも……それでも姉さんはあなたに持っていて欲しいと思います」
 そう言って真っ直ぐ見つめてくる瞳は血の繋がりはなくとも確かにしのぶの妹なのだと義勇は感じた。
 お前の妹は昔のお前のように感情が豊かになっているぞと心の中で思う。
「……承知した」
 だから静かにそう答える。それが彼女の願いだというのなら叶えたい。
「一度仏壇に供えさせて戴いても?」
「……構わん」
 カナヲは義勇から彼の鍔を受け取り、しのぶのものと合わせるようにして仏壇に供えた。
 静かに黙祷をし、暫くすると義勇の方へと向き直った。
「み……冨岡さん、どうぞお受け取りを」
 カナヲが彼をそう呼ぶと一気にしのぶとのことが思い出される。
 ―冨岡さん、そういうところですよ!―
 その呼び方が懐かしい。
 今もなお鮮やかに思い出せるのに不思議なものだ。
 お前は本当にいないんだな……この栗花落カナヲと蝶屋敷の子供たちを残して逝ってしまった。
 そう思うと鈍い痛みとなって義勇の胸を切り付ける。
 刀ではなくお前自身が何故残らなかったのか。
 何故共に戦えなかったのか。
 幾ら考えても答えなど決まっているというのに。
 それでもあの夜は二人だけもの。
 それだけは確かなことだった。
 カナヲから受け取った、掌にある二つの鍔はまるで最初からそうであるかのように自然にしっくりと重なっていた。
「……有り難く受け取る」
 そう言って布で(くる)んで鍔を己の懐にしまい、カナヲに向かって一礼をする。
「受け取って下さって有り難うございます。またしのぶ姉さんに会いに来てやって下さい」
「……栗花落が構わないのであれば」
「お願いします」
 自分の姉と義勇の間に何があったかはカナヲは知らない。ただ二人の間にある絆を感じ、鍔を託しただけだ。それが自然だとそう思った。
「冨岡さん、おじいさんになるまで生きないと姉さん怒りますよ、多分」
「……そうだな、胡蝶ならきっとそう言うだろう」
 そう言って静かに義勇は笑う。
 カナヲは彼の笑顔に少し驚いた表情をしたが、それに釣られるようにして微笑った。
 その笑顔が又しのぶに似ている……
「……胡蝶によく似ているな、栗花落は」
「姉さんに……」
「とてもよく似ている」
「それなら嬉しいです」
 少し気恥ずかしいのだろう、顔を赤くしてそう言った。
 その一つ、一つの動作が何処か嘗てのしのぶを彷彿させ、彼を切なくさせる。
「……炭治郎とは上手くやってるのか」
「え」
 何となくそう尋ねた。
「そ、それは……」
「仲良くやるといい」
 それだけを言って義勇はその場を後にする。これ以上は想い出が押し寄せ、辛くなる。
 それでも彼は又此処に来るだろう――命尽きるその日まで。

[chapter:ニノ巻]

 義勇が狭霧山へ帰ったのはどうしてもやりたいことがあったからだった。
 鱗滝に挨拶をした後、嘗ての修行場へ一人で向かい、そこで持ってきた酒をあたりに注ぐ。
 最後に一番大きい、炭治郎が切ったという岩に捧げる。
「確かに真っ二つだな。まさか炭治郎が切ったとは。今にして思えば納得だが、錆兎、喜んだか? それとも悔しかったか?」
 そう義勇は揶揄するように笑う。修行時代に岩を切るのに切磋琢磨したが、この大岩は終ぞ切れることはなかったのだ。
 炭治郎が修行を成し遂げた際、喜んだと同時に悔しさもあったのではないかと何となく思ったのだ。
「……皆、終わったぞ」
 嘗て共に修行した仲間は既にない。義勇の知らぬ仲間たちも当然いるが、彼らは死してもなお魂だけは此処に帰ってきていると炭治郎は言っていた。ならば今、彼のしていることに意味があると言うことだ。
「……鬼はもういない。安らかに瞑れ」
 彼らへの報告は至極簡単なものだったが通じているだろう。彼らの犠牲は無駄ではなかったのだから。
 ここへ至る道は厳しく苦しい戦いだった。多くの仲間を失い、恋人と呼ぶ前の女も失った。
 それでも彼は生き残ったのだ。
 故に残り少なかろうとも生き抜かねばならない――それが彼の新たなる使命となる。
 その場を離れ、少し離れた場所で懐から布でくるんであった二つの鍔を取り出し、
「胡蝶、ここが狭霧山だ」
 誰に言うとでもなくそう切り出す。
「……俺が姉を喪ってきたのは此処だった」
 説明が長いときっとしのぶなら言うだろう。それでもどう生きてきたのかを彼女に聞いて欲しかった。そして又彼女の生き様も尋ねたかった――もう聞けないと分かっていても。
 彼にしては短い説明で話を終え、近くにあった大樹の側で徐に屈む。
 その場で旅すがら手に入れた渡来ものの箱に己の鍔としのぶの鍔を仕舞い、土を掘った。
「俺も長くはないだろうが、俺が死んでもなおこの山はあるだろう。いつか……これらを取りに来られる時がもし来るのなら……」
 お前と一緒に来よう、そう呟いた。
「片腕では何をするにも一苦労だな」
 鍔の入った箱を埋め終え、立ち上がる。
 生活する上で不便さもあったため、戦いを終えた後に髪は切り、その一房だけ此処に持ってきていた。何故そうしたいのかは分からなかったが、彼女の傍に有りたかったのかも知れない。
「この髪だけでもお前の元へ……」
 己が髪の一房をそのまま風に乗せながらそう呟く。
 ふと何処からか蝶が舞い、彼の周りを飛んだ。この山にはいない種類の蝶だった。
「……お前からの答えか」
 思わずそう問うと蝶はまるで答えるように羽ばたく。
「……ああ、約束は守る。又(いず)れ……」
 彼がそう言うと蝶は一回り義勇の周りをして、そして空の彼方へと消え去って行った。
 義勇はいつまでもその空を見つめていた…
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