第二話 空のあお、海のあお。
ふぁんたじあたいむ~夢みる時間をあなたと~
リビィは宙に浮いていた、というよりも空に放り出されたというのが正解だった。
「きゃああああっ?!」
状況の変化について行けないと言うよりも一気に死活問題になっていた。
どう考えても落ちている。
つまり落ちてると言うことはいつか地面にぶつかるわけで、そうなればただですまないと言うよりも確実に死ぬわけである。
目に入ってくる風景は確実にさっきまで見ていた絵そのままに広がっていた。
「綺麗だけど、そんな場合じゃなぁっぁぁいっ!」
悲痛な叫びが周囲に響き渡るけれど、当たり前に何も返っては来ない。
こう言うのをきっと絶体絶命というのだと実感しつつ、リビィは必死にどうしたらいいかと考えるが、いい考えなど浮かぼうはずもない。
だいたい緊急事態にいきなり放り込まれてどうにか出来るほど彼女は人間出来てはいない、いや誰でも無理だろう。
普通生きてる限り、そうそう空になんぞ放り出されることはないのだから。
「十二年しか生きてないのにこんな終わりはあんまりだぁぁ~!!」
人間死ぬときはいろいろ思い出すと言うけれど、そんな暇すらありゃしないとリビィは嘆く。
ああ、それにしても本当に綺麗だなあ。
何処までも広がる青い空、下方に広がるこれまた青い海。
ほんとに綺麗だなあ。絵で見るよりももっと綺麗だなあ。
人間、なんというか、どうしようもない状況に追いやられるとかえって冷静になるもんなんだと初めて知った。
とりあえず親不孝を謝っておくべきだろうなあ。
言いつけ守らなくてごめんなさい。でも見せてくれればいいだけのことだったのにとも付け加える。
「っていうか、こんな風になったのもパパとママが悪いんだぁあっっ!!」
ちょっとお茶目だっただけじゃないかと自分を思いっきり擁護しながらも、ほんのちょっと反省もしていた。
ストロベリーのアイスクリーム、もう一回食べたかったなあ……
目前に海がどんどん近付いてくる、空は何も変わらないように輝いている。
ああ、空を飛べたらと思っていたけど、一応夢は叶ったことになるよね。
どっちかと言うと落ちてるけど。
「短い人生だった……」
ん? でも宿題やらないでいいか。大っ嫌いな算数だし。
それに引き替えにするにはかなり壮絶だと思うが、何となくリビィはそれでいいと納得していた。
「絵にはそう言えば妖精さんといたっけ。そのくらいは見せてくれてもいいのに」
自分の現状を余所にリビィは暢気にそんなことを考えていた。
当の本人は大真面目なのだが、生きるの死ぬのという時に考えることでもない。
「こぉんな綺麗なもの見て死ねるのはある意味幸せかもしれないよねぇ」
親の言いつけ守らないとこんな目に遭うのかいと神様に文句を言いながら、開き直ったリビィは僅かの間でも世界を楽しむことにした。
広がる空には虹が縦に連なり、よく見ればいろいろなものが、そう絵に描かれたとおりに飛んでいるのが遠くに見えた。綺麗な羽根を持った妖精に天空をかける天馬たち。
いいなあ、羽根があって。自在に飛べたら気持ちいいだろうなあ。
それにしても落ちてる割にはあたしってば余裕ある!
自分で感心してしまう。
そんな場合ではないだろうに既にリビィはこの状況を楽しんでいた。
落ちても死ぬかどうか分からないし、運が良ければ助かるかも!
勿論、打開策があるわけではなく、ただそんな気がしたのだ。
ただ何処までも青い空と海は輝いていた。
ふとぼすんっと何かに突き当たる音がした。
あれぇ、まだ落下途中だったはず。
ふわふわと感触がいい。
何だろう?
「うにゅう?」
リビィが目を開けると何やらもこもことしたものが目前にある。
「??」
触れば柔らかい。つまり落ちていたリビィを受け止めてくれたらしい。気が付けば落下も止まっている。
良かったと思うべきなのか、何なのか。落ちるのが止まったとは言え、ここが何処であるかすら理解らないのだ。安心するにはまだ早い。
「雲、みたいだけど。それにしちゃあ随分丈夫よね?」
リビィはまず自分の足場を確認する。
ふわふわっと何とも心地いいが、すっぽ抜けていくほど柔ではないらしい。
続いてとんとんとんっと軽く足で叩いてみても問題ないようだ。
さて足場を確認してから自分のいる位置を見てみる。
「うわぁ……」
リビィの眼前にはなかなか素晴らしい光景が広がる。地上も遙か下、空も遙か上、つまりは目も眩むような高さの丁度真ん中にいるらしかった。
そろーっと全体を覗き見ると朧気ながらリビィは自分を助けてくれたものの正体が見えてきた。
自分の今いる場所は巨大な雲、それも巨大な螺旋状の階段だった。
階段ではあるものの、手摺りもないし、幅もリビィがやっといれるくらいしかない。
「上でも下でも道のりは長いな、こりゃ」
ため息が自然と出てくる。
上が正しいのか、下が正しいのかなど分かるはずもないし、まるで知らない場所で途方に暮れてしまう。
「どうしたらいいかなあ」
落ちるよりマシなのか、それとも落ちきった方がマシだったのか。
「どのみち、ろくな選択肢じゃないなあ…」
いったい何処に続いているんだろう?
少なくとも落ちてきたのだから下に行くべきなのかもしれないと結論を出した。
流石に上に行けば安直に家に帰れると考えるほどリビィも浅はかではない。
気のせいか上の方は消えかけているようにも見えた。
「取り敢えず降りてみよう。じっとしていても何にもならないし」
リビィは意を決して一歩進み出す。
そうして歩き出してみて分かったことだが、足下がふわふわしているというのは案外心許ないものだとリビィは感じた。
「ちゃんと降りてるのかな、これって」
むぅと思いながらも進んでいくものの、なかなか捗らない。
こう言うとき子供だと割が悪いとリビィは思う。歩幅が足りないし、体力もない。
何とはなしにイヤな予感がして上を見れば彼女の予感は有り難くないことに的中で、雲の階段は上部から徐々に消えてきている。
「き、気のせいじゃなかったのねっっ!!」
急いで降りようにもあまりのことに足が竦んできてしまう。
やばいと理解っていても身体が言うことを聞かないなんてことをはじめてリビィは体験した。
どうしたらいいのかすら判断できない。
そうこうしているうちにどんどん階段が消えてきているのが見え、そうすると不思議なもので、さっきまでなかった恐怖がリビィを襲い出してくる。
不確かな足場、消えていく階段――そしてさっきまでの落下経験。
おまけに何処にも逃げ場がないと来る。
これは十二歳の少女が泣いて騒いで当たり前としかいいようのない状況なのだ。
どうしたら、どうしたら?
考えて出るような答えはない。
飛び降りても馬鹿だが、待っていても馬鹿。つまりはどっちを選ぼうが結果はまったく変わらない。
「この場合、選択の意味がなーーーっい!!」
そう叫んだ途端、ふっと足場が消えた。
雲はとうとうリビィの足下から音も立てずに足早に去っていったのだ。
さっきまでそこにあったはずものは遙かしたに見え、リビィは再び空中に投げ出されてしまっていた。
「きゃああっっ!!」
私、一生分、今日叫んでる、絶対っ!
最初の時と違い、リビィには余裕がなかった。
ひたすらパニックになっており、もう外をじっくり見てることなども出来ず、最悪の事態を思い描きながら静かに瞳を閉じた。
と言うよりも見ていたくなかったのだ。
ぼふっ!
「にゅぅ?」
またもや何かに当たったらしい。また雲の階段だろうか? それにしてはちょっと痛いし、何か暖かい。
「てっめ、いきなり何、降ってきてやがる……」
「へ?」
聞こえてくるのは怒声で、慌ててリビィが身体を起こしてみれば見たことのない少年がそこにいた。
どうやらリビィはこの少年めがけて落ちてきたらしい。
リビィよりは少し年上だろうか、軽く纏めてある艶のある黒い髪と光の加減によっては金色にも見える榛(ヘーゼルナッツ)色の瞳がとても印象的だったが、彼はリビィには馴染みのない格好をしていた。
ファンタジーでよく見る格好と言えば早いか、マントに変わった模様で織られた衣服を着ている。
ちょっと格好いいかもとリビィが思った途端、彼の口が開いた。
「あんなもんに登ってりゃ落ちるに決まってる、アホか」
少年は好印象を一発で吹き飛ばすようにあろうことか、いきなり毒突いてくる。
普段ならなんてことないだろう言葉だったが、今のリビィにはショックが大きかった。
大きな瞳からボロボロ零れる涙をどうにも止められない。やっと人に会えたのにこれではあんまりだと。
「アホって何よ! な、何であんたにいきなり怒られなきゃいけないのよ!」
泣きながらもリビィは必死に反撃することを忘れない。 そもそもあんな怖い目にあって怒られるなど理不尽にもほどがある!
……いや、原因を作ったのは恐らく自分自身だというのはこの際置いておいて。
「まさかお前、知らないであんなところいたのか?」
いきなり泣き出した少女に流石に驚きながら、少年は尋ねる。
「だって、こんなところ知らないもん!」
屋根裏部屋にいたはずなのに空に放り出されて、いきなりアホ呼ばわりである。まるでお前が非常識だと言われているようで切なかった。
けれど同時にそれがここの当たり前らしいこともぼんやり理解出来た。
けれど泣くのを止める理由にはならない。だってどうしたらいいか分からないから。
全く泣き止まない少女を見遣りながら少年はどうしようと頭を掻いた。何しろ原因は自分であることは疑いようもない。
確かに初対面の相手にいう言葉でもなかったと反省することにした。
「あー、何だ、俺が悪かった。お前は口が悪いってお袋にも言われてんだわ」
「アホって言わない?」
「もう言わね」
「ん」
そうか、もう言わないのか。それならいいかなと何故か思えた。
考えてみればいきなり降ってきた自分を受け止めてくれたんだからそれだけでもきっといい人なのだろう。
「じゃあ、泣かない」
そう言って涙を拭うと同時にリビィは泣くのを止めた。
それがあまりにもあっさりしてたので少年は驚いたように、少し呆れたように呟く。
「……変なヤツ」
「あんたこそ」
お互い様、そう思ったが、それはどちらも言わなかった。
そうして暫く互いに沈黙しあってから、どちらともなく笑い出す。
「ま、助かって良かったさ。こいつに感謝してくれ」
少年がぽんぽんっと撫でるのは翼のある天馬、ペガサスだった。白くて大きな翼をはためかせた、夢にしかいないはずの生物の上に自分は乗っていたことにはじめてリビィは気が付いた。
「え、ペガサス? 嘘、はじめて見た!! 可愛い!」
「見たことねぇの? ヴェルツェがいたから受け止められたんだぜ」
「じゃ、御礼言わなきゃね、有り難う。えーっと?」
「ヴェルツェだ」
「ヴェルツェ、有り難うね。お陰で地上激突は免れたわ」
ヴェルツェと呼ばれた天馬は応えるように嘶(いなな)いてくれたのでリビィとしては嬉しい。
その遣り取りでさっきまでの緊張もほぐれたのだろう、大分落ち着いていた。
そうだ、何しろ助かったのには違いないのだからと少年の方を見る。
「それからあんたも有り難う」
「へえ、素直じゃん」
「恩人に御礼を言わないほど恥知らずじゃないわ。あんたの名前を教えて頂戴。あたし、エリザベス・ウォルスング。リビィって呼んで」
「……ウォルスング? 了解、リビィ、ね。ふーん? 変わった名前だな。俺はヴァーン、 ヴァーン・サイス=バウ=ム=ヴァルツェン」
「ヴァーンでいいの? あんたこそ変わった名前だと思うけど」
「ああ、いいぜ、リビィ。俺のは普通だぞ、多少長いくらいで」
「そうなの? ここって何処なの?」
「ここか? ここは文字通り雲の回廊さ。お前がいたところみたいにああやって雲の螺旋階段が出来ては消えていくんだ。すぐに消えたり、一年そこにあったりいろいろだ」
「なるほど……」
どうやら自分のいたのはすぐに消える階段だったらしいことは分かったが、あまり嬉しくない。
「何にも知らねぇでここに来たのか」
「知らないも何もはじめてよ、こんなとこ」
リビィが今まで暮らしていた場所ではこんな物騒な階段はないし、馬も空を飛ばない。
だいたい、今もって夢みたいなものなのだ。
ヴァーンはそんな少女をじっと見つめる。
金髪で緑色の瞳、そして明らかにこの世界ではない格好の少女……おまけにペガサスも雲の螺旋階段すら知らないとくる。
彼の知る限りそんな者はいないはず、そう例外を除いては。
「――っ! お前っ! リビィ!!」
「へ? 何?」
唐突にヴァーンが大きな声を出すものだからリビィはびっくりして間抜けに答える。
「いいや、まさかね。でも……!」
「ちょっと何よ、ヴァーン? 何か私の顔に付いてる?」
「リビィ、ちょっと城までつきあえ!」
そう言うなりヴァーンはヴェルツェの手綱を荒っぽく取り、いきなり駆け出した。
「ちょ、ちょっと! ヴァーン、説明してよ、ちょっとぉおおおっ!」
リビィの悲鳴を余所に天馬は物凄いスピードで駆けていく。
勿論リビィには何処へ行くのかすら分からないが、途中で降りれるわけもなく、振り落とされたくもないので取り敢えずヴァーンに抱きつくしかできなかった。