狂った城の中を、罠でしかない道を行くしかない。
この状況は千載一遇の機会なのだから。
しのぶは己の取るべき道を分かっていた。そのためとはいえ、カナヲにも酷な願いを伝えたものだと自分で思っている。
だが、勝機はそこにしか無かった。
鬼殺隊には小柄で向かないと誰もが彼女にそう言った。最愛の姉ですら、最後の言葉は『辞めろ』であったから。
しのぶは生まれつき体格が小さいため、筋力も相応しか無い。
だからこそ毒を極めた。鬼を毒で殺す、方法こそが彼女の彼女たる[[rb:術 > すべ]]だった。
そうして最大の爆弾を抱えたことを相手に気が付かせない、この一点が一番重要と言えた。
[[rb:蟲柱 > わたし]]を喰らうことで必ず油断する。
恐らくは小柄の女が好みなのだろう。姉は命を奪われたものの、亡骸はしのぶの中に残された。
だから何故そうなのか考え抜いて、そう結論を付けた。あと一つは恐らくは藤の花……姉は花柱であったから藤の花を苦手とする鬼へ向けただろう。
それでも姉は鬼を『可哀想』と言っていた。
その可哀想な相手に親を、姉を殺された私の気持ちは何処へ行けばいいのだと何度嘆いただろう、怒っただろう。
鬼の首を殺せないのならば、他の方法をと毒の道を選んだ。
私は蝶にはなれない、だから蟲のままで逝く。
けれど、最後の夢は一つだけ叶えたから。
それは、それだけは鬼らに渡せない、渡さない。
その想いを胸に闘う、闘える。
叶うのなら、叶えられるなら、又あなたに会いたい……
それだけがこの世で最期の願い。
喰われる感覚が伝わる、予想通り、ヤツが自分を喰らった。
カナヲの声が聞こえた気がする……後は、後の一撃はカナヲたちに託そう。
喰らったことを後悔するがいい!
私はお前を可哀想などと思わない!
空っぽなお前に相応しい最期を迎えるがいい!
しのぶの意識はそうして呑まれていく、それでも己の中にある毒をすべて童磨に注ぎ込んでやる。
気が付きもしない、愚かなヤツだ。
だから後は……カナヲ……
走馬灯の中、脳裏に最期に浮かんだのは、
……義勇さん……
愛した男の姿だった……
[chapter:ニノ巻]
鴉どもが何か騒いでいた。
耳がそれらを拒否をする、それでも聞こえてくる嫌な言葉。
背中の痛みとともに、湧き上がる血潮に、義勇はこれ以上無いほどに襲われていた。
背の痛みではない、痛みはまったく別のもの、あの温もりが失われた! 奪われた! またも!
何度目だ、何度目だというのだ。
大切なものが零れていくのは……!!
どんなに己が身を鍛えても、鍛えても一向に自分心は変わっていないのではないか。
如何な敵に対しても揺るがない、恐れない、強さを未だに持てないままに。
胡蝶――しのぶ、お前には伝えていない言葉が有り余るほどあるというのに、逝ってしまったのか。
お前の怒り、信念、すべてを賭けて――失って、取り返せないもののために、
理性では分かっている、それ以外の方法が無いからこそしのぶがそうしたのだと。
だが、感情は付いてい来ない。
だが、諦めるなと、間違えるなと炭治郎は俺に言ったではないか。
柱となってから義勇は人と関わることを恐れ、信頼を築くことを怠ってきたことを痛感していた。
もしも錆兎の言葉をもっと早く、炭治郎に肩入れした感情を理解していれば違う結果があったかもしれないのだ。
今更のことであっても後悔して何になる!
だから戦い抜くことを選ぶ。錆兎がそうしたように、そしてお前がそうしたように。
義勇は己がの使命を全うするべく刀を握る、散っていた蝶のために、そして己のために――。
[chapter:参ノ巻]
ああ、もう思い残すこともない」
やっと、やっと父、母、姉に再会できたのだから。
そう、もう解放されたのだとしのぶは思った。
でも何処か空っぽな自分がいる。何かが、何かが足りなかった。
「ねえ、逢いたい人、いるんじゃないの? しのぶ」
「ね、姉さん」
姉に何もかも見透かされたような言葉にしのぶは内心ドキドキしていた。
「義勇さんでしょ?」
「な、な、な……」
「いつも仲良しでしたからね」
あれを仲いいというのだろうか……
姉さんがいたときにも義勇さんとは喧嘩しかしてなかったような……
にっこりとカナエは微笑って、
「私のように何も言えないままで終わったんではないならちゃんと逢っていらっしゃい」
「……うん、姉さん」
戸惑うしのぶの背中を押してくれる優しい姉にしのぶもそれならと言い返した。
「それなら姉さんもあの人に逢いに行くべきですよ」
「……そうね、ちょっと考えてみましょうか」
姉の想い人は知っている、生前、何も伝えられなかったことも。
考えるってことはいくと同意義語だろうと思いながら、しのぶはぽんっと下界へと降りていった。
彼に逢うために。
主人を喪った蝶屋敷はどことなく寂しげに見えた。必死に頑張っている継子の栗花落カナヲや蝶屋敷の住人たちも夜には静かとなる。
その時間を見計らったように義勇は足を運んでいた。
今にも現れそうだというのに現れはしない。
それはそうだ。
幻でもいいからもう一度逢いたいと願うが、それが叶うことがないのは義勇が一番理解していた。
何度来ても同じことなのだ。
もう最後にすべきと分かっていてもいつの間にかここにいる。
花くらい手向けるべきか。
考えてみればしのぶに花を贈ってはいない。
そうすれば完全に彼女の『死』を認めるような気がしてしまうからだ。
「義勇さん……」
不意に彼を呼ぶ声がした。あえりえない、彼はそう思ったが、急いで振り向く。
そこには生前の鬼殺隊の制服では無く、愛らしい着物を着たしのぶがいた。
「胡……蝶……」
「そこで何で名前じゃ無いんですか……もう」
しのぶはせっかくの場面なのにと文句を言いながらも笑顔で義勇に告げた。
「往生際が悪くて、最期に会いに来ましたよ」
「そうか……」
手を差し伸べようとしたが、右の腕は既に無い。だから左腕を伸ばした。
しのぶもその手に触れようとするも互いに触れても触れられない。
「……残念です、あなたにもう触れられないのは」
「俺もだ」
もっと言いたいことはあるが、義勇はそうしか言えなかった。
このまま自分も連れて行けとすら思うが、しのぶは決してしないだろうことも分かっていた。
彼が伸ばせなかった右腕を見つめながら、
「……義勇さん、腕を……?」
「ああ、命は拾ったのだからましだろう?」
「……そうですね」
あの抱き締めてくれた腕はもう無くとも、彼は生きている。それだけいい、彼は生きるために闘ってくれたのだと分かったから。
「義勇さんにしては頑張りましたね」
「……褒めてないぞ」
「褒めてますよ? 目一杯」
しのぶはもう時間が無い、もう日も開けるころだ。だからどうしてもしたかった約束を今しようと決めた。
「義勇さん、月夜に又会いましょう」
「……月夜限定か?」
幾ら何でもそれは酷いだろうと義勇は思った。いつでも逢おうと言えない自分も相当だが。
「そうですね、それだけじゃもったいないですね」
「……ああ、もったいない」
「……いつか逢える日を楽しみにしてますからね、義勇さん」
「いつか、な」
それがいつになるのだろうと義勇は思う。この先の長いか、短いか分からない人生にはしのぶはいないのだ。
「でも死に急いじゃ駄目ですよ?」
「……勝手な」
そう言いながらも義勇は静かにしのぶを見つめていた。彼女がそういうのは分かっている。そうして自分はそれを護ることしか出来ないことも。
「だが、お前の望みだ。叶える」
「約束ですよ。今度は絶対に離しませんからね」
義勇の唇に自分の唇を重ねてそっと口づけ、にっこり微笑う。もう互いに触れられないはずなのに、その口づけだけは熱を感じた。
「好きですよ、義勇さん」
薄くなっていくしのぶの姿に義勇は思わず抱き寄せようとするもその手は空を舞う。
「俺も、だ。だから待っていろ!」
その言葉に少し驚いた顔をして、そして次の瞬間、花のような笑顔を浮かべてしのぶは義勇の前から消えた……最期に待ってますからねと言い残し……
消えてしまった……これでもう今生では逢えまい。
酷く空しく、哀しい感情が義勇の躯を貫いた。
ただ、黙ってしばらくその場に立ち尽くし、嗚咽した。誰にも知られぬよう、静かに。
そして――一人静かに義勇は蝶屋敷を後にする。
「明日には花を持って来る……」
誰に言うでもなく呟いて。
終