一頻り抱き合った後、しのぶは満足げに義勇の胸に甘えるようにすり寄る。
「義勇さん、意外と情熱家だったんですね」
しのぶの重みを肩で感じながら、義勇は彼女の髪をなんとなく撫でてやる。
「……どういう意味だ」
「言葉のまんまですよ」
あんな風に熱く激しく抱いてもらえるとは、そもそも義勇がしのぶの想いに応えてくれるなんて思ってもみなかった。
無論、他の相手など知らないが、あれほどの時間を義勇以外には与えてはくれないことは分かっている。
だからもっと欲張りになっていく自分がそこにいた。
「名前、もう一度読んでくれないんですか」
甘えた声でしのぶはそう義勇に強請った。
「……」
どう答えるべきか義勇は考えるが、答えは一つしか無い。先ほどは簡単に呼べた名前が今は呼べない。
「ねえ、名前、呼んでくれないんですか」
「拘るな……」
「拘りますよ、やっと私の名前を呼んでくれたんですから」
だからそう簡単に呼べるか!と義勇は思うが、しのぶはニコニコと微笑って、義勇が名を呼ぶかどうかを待っている。
そもそも義勇に器用な真似を求められても出来るはずもないことはしのぶが一番知っているはずだ。
まあ、これが宇髄天元であるならもっと気の利いた言葉が飛び出すのだろうが。
義勇が必死に自分のために悩んでいる様子を嬉しげに見つめながら、
「でも安心しました、義勇さん、大分、表情出してくれるようになったから」
しのぶはそう言った。
「表情……無かったか?」
「無自覚ですか」
「いや……」
自覚は、多分あった。感情を見せないようにしていたのだから表情があるわけもない。
「何かあったんですか?」
義勇は少し考え、
「多分、炭治郎と話したせいかもしれない」
そう言った。
「竈門くんと?」
確か彼と会ってから義勇は大分変わっていった気がする。……でも、それが自分で無いことが少しばかり腹立たしい。
「そこで思い出した、錆兎との約束を」
「さびと?」
「俺の、そう兄弟とも友とも言えた相手だった」
炭治郎に諭され、錆兎にぶたれた頬の痛みをそのときに思い出したとも伝えた。
それを聞いたしのぶは一言、
「……私もあなたをぶん殴れば良かったですかね……」
「お前……」
冗談ですよと微笑うが、義勇には冗談には聞こえなかった。こいつはやると言えばやるのだ。長い付き合いだからこそ分かる。
「……それはさておき、錆兎という人は強い人だったんですね」
「ああ、俺よりも遙かに」
「……でも長生きは出来なかったかもしれませんね」
「おい……?!」
「その方は恐らく煉獄さんと同じような方だからですよ。自分の身より他人を案じ、助けることに奔走する。それを否定はしません。カナエ姉さんもそうでしたし」
そう言われて義勇はそれを否定することが出来なかった。炭治郎にも最初に出会った際にだからこそ、義勇は怒ったのだ。他人に自分の命を任せるなと。
錆兎の直接の死因は手鬼だが、その前に義勇をはじめとした仲間を助けた上で生じた結果だったからだ。
「でもあなたと一緒であれば違ったかも知れませんけどね」
「いても……」
変わらないと言おうとする前にしのぶが遮った。
「今のあなたといたら、ですよ」
「……」
「考えたこともない、って表情ですね」
確かにそんなことは考えたこともない。あったのは後悔と己の不甲斐なさについてだけだ。
「義勇さん、あなたは自分を褒めてもいいんですよ。今のあなたなら、錆兎さん?もきっと褒めてくれますよ」
しのぶは錆兎には会ったことはないが、きっと義勇を褒めてくれるはずだと確信していた。彼の努力をしのぶは知っている。それを義勇が友と呼ぶ相手が認めないはずが無いのだ。
「もしも……なんてないですけど、あなたと一緒に鬼殺隊の試練を受けられていたら私やあなたの運命も違っていたかも知れませんね」
「……お前と?」
しのぶともしも一緒であればとは考えたこともない。もしも一緒であれば? あの闘いも何か変わっただろうか。
「私はきっと可愛い義勇さんに会えました」
「……お前は?」
「それは可愛い、可愛いしのぶさんに義勇さんが会えたに決まってます」
必要以上に浮かれて見えるしのぶに義勇は一言、言った。何か違和感を感じたのだ。
「……何か隠してないか」
その一言にドキリとした。見つめてくる眼に何もかも見透かされてるような、そんな感じを受けた。
そもそもこれから自分が為すことを隠す自体卑怯だろうと思えた。
だからしのぶは一瞬逡巡したが、
「……あなたに言わないでおくのは卑怯だと思いますので伝えます」
身を起こして、そう告げた。
「次の闘いで私は死にます。いえ、正確ではありませんね。私の身を以て、そう鬼の餌となって、十二鬼月の一人を倒します」
まっすぐ義勇を見つめ、しのぶははっきりと宣言した。
義勇の眼は大きく見開かれ、動揺を見せた。確かに死と隣り合わせの鬼殺隊ではある。が、しのぶが言ったのはそういうことでは無い。
自分自身を投じて、といっている。
「……だから俺とこうなったと?」
義勇も己の体を起こし、しのぶと目線を合わせた。
「だって心残りは残したくないじゃないですか」
「……」
俺の心残りはいいのかと言いたかったが、そう言えるほど簡単な決意では無いことくらい、義勇にも分かっていた。
「姉さんの仇を討つために、これ以上同じ思いをする人が出ないように確実に仕留める方法はこれ以外浮かびませんでした」
義勇はしのぶの話に静かに耳を傾け、遮ることはしなかった。
「カナヲにも伝えましたが、姉を殺した相手は女しか食さない鬼です。あなたもご存じのように私に鬼の首は切れません。毒で殺す、それが私の闘い方です」
フーッと息を吐き、しのぶは一気に告げる。
「ですから、そいつを倒すためには私一人で血路を開き、カナヲたちに託す――それはあなたのためにもなりますしね。十二鬼月は少ない方がいいですから」
「……」
「毒に浸されたこの身は何の道長くは保ちません。恐らくは痣が浮かんだ方たちより短いでしょう」
実際のところは自分の寿命など分からないが、毒は自分すら蝕んでいくものだ。だからこの先の未来など見えなかった。
「お前はそれでいいのか」
「敵を討つためなら。姉さんの、私の夢は竈門君たちが叶えてくれるでしょうし」
竈門炭治郎、かの少年なら胡蝶カナエの願った未来を受け継いでくれる、そしてカナヲもまたそうしてくれるはずだと。
「ならばお前は最期まで見届けろ。すべてを他人に任せてなんぞ、お前らしくもない」
義勇ははっきりとしのぶにそう言った。
その言葉にしのぶは驚いていた。随分しゃべりましたね……
義勇はしのぶの決意を軽んじたわけでは断じてない。
「そう、ですね」
ふっと静かに義勇が笑みを浮かべたように見えた。が、それを確認する間もなく、義勇は視線を外へと移していた。外が少し明るくなってきたせいだろう。
「でもそれは義勇さんにも言えることですよね」
「……その通りだな」
義勇とて錆兎の件があったからといって常に死ぬ気で闘ってきたわけでは無い。
鬼舞辻無惨がいる限り、鬼殺隊の闘いに終わりはない。そして恐らくは次の戦闘は恐ろしく長く、きついものとなるだろう。
どちらも死ぬかも知れないし、生き残るかも知れない。誰にもまだ先は分からないのだから。
「……またあなたとこうしたい」
「……俺もだ」
恐らくはかなわぬ夢――それでも願わずにはいられない。
しのぶが静かに障子を開ければ、確かに空は少し明るくなっていた。けれどまだこの時間は終わらない、終わらせたくない。
「まだ夜は明けませんね……」
もう明けていく時間だと分かっていて、しのぶはそう言った。
「……月が綺麗だ」
義勇はそれにただ一言で答えた。それは素直な感嘆だった。既に夜は明けようと動き出していたが、まだ月はそこに見えていた。
「暁月夜ですか。なるほど風流ですね」
そう言いながら、しのぶは義勇にもたれ掛かり、義勇はただ黙って優しく肩を抱いていた。
夜が明けきれば、二人ともいつもの通りに振る舞うだろう。
そう、何事もなかったように、けれどその身に消えない熱を帯びたまま――。
=終=