BranNewDays

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「冨岡先生」
 不意に呼ばれ、冨岡義勇が振り返るとそこには胡蝶しのぶが立っていた。まだ朝早すぎる時間で、生徒がいるのは珍しい。
「お前、胡蝶……何だ?」
 胡蝶しのぶ、高等部三年――通常であれば関わり合いになる時間はほぼ無い相手だった。
「今日は月が綺麗ですね」
 にっこりと微笑ってしのぶは言った。
「……まだ朝だが……」
 そう義勇の答えを聞いた途端、しのぶは思いっ切り脛を蹴りだす、が、義勇はしのぶを何とか避けた。その素早さに、そして彼女の様子で気が付いた。
「お前……まさか」
 義勇が驚いていると、その先を言う前にしのぶは人差し指を自分の唇に当て、しーっと止める。
「……放課後、薬学研究部でお待ちしてます」
 そっと耳元でそう囁いて、しのぶはその場を後にした。

‡ ‡ ‡

「いらっしゃいませ、富岡先生」
 薬学研究部部室にやってくると、にっこり微笑っているしのぶが立っていた。
「……」
「ちゃんと来てくれましたね」
「……約束は守る」
 あれが約束か、と言われるとよく分からないが、義勇にはそう思えたし、しのぶもそう思っているようだった。
「まあ、まずは御茶でも入れましょうか。座ってて下さいな」
「お茶……」
「ここの特製ですよ」
 いや、ここは学校なんだがと思ったが言わなかった。言われるまま部室にある椅子に腰掛け、しのぶを見つめる。
 御茶を入れる所作を見ていると懐かしさを何故か感じた。
 ……そうか、薬を作ってる胡蝶を思い出すのか。
 それは懐かしく、何処か苦い思い出。
「先生、どうぞ」
「……ああ」
 何となく気まずなり、義勇はひとまず茶を飲む。
 何を言えばいいのかと思う。
 ずっと逢いたかったと?
 そんな風にすんなり言えたら苦労はしない。
「ずっと、ずっと逢いたかったんですからね」
 不意にしのぶからそう切り出した。が、義勇は焦るあまりに思うことでは無いことが口から飛び出る。
「……俺より先に死んでおいて、年が下か」
 その瞬間、間髪入れずに義勇の頭をぶん殴る。
「殴りますよ?」
「……殴ってから言うな!!!」
「感動の再会なのに変なこと言うからですよ」
 まったく変わってないですねとしのぶが呆れたように言うと、
「本当のことだろうが……悪かった」
 再び、拳を握りしめるしのぶを見て義勇はひとまず謝ることを選んだ。しのぶの拳は単なる女子高生の殴り方では無く、全力を以て殴ってくるので幾ら義勇でも痛い。
 だいたい、そんなことが言いたいわけじゃないのにと二人で同時に心では思う。
「……でもちゃんと覚えていてくれたんですね」
「……そこまで薄情じゃない」
 というか、忘れられるはずもない。この学園で遭遇したときの驚きは尋常では無かった。
 ただ或る意味で必然であり、当然だったが。
 ここには何故かしらあの時代の人間が集まってくるのだ。尤も年はバラバラではある。義勇に近いものもいれば、そうでないものもいる。
 しのぶの他にもよく覚えてるのがちらほらいるレベルでは無いくらいにいる。
 懐かしむよりは騒がしい日々だが。尤も彼は自分がその騒動の元の一つとは考えていない。
 義勇とてしのぶに話しかけようと考えたこともあったが、向こうは忘れているかも知れない、と思えば行動も鈍る。
 だいたい何か行動するにも現時点、教師と生徒の関係になっているため、どうにも出来なかっただけで。
 幾ら義勇でもそのくらいの自制心はある。
「あの日、目が合った瞬間、分かりましたもの。義勇さんも覚えてくれていたって」
 義勇と名を呼ばれるだけで一気に過去へと戻る。ああ、そうだ、彼女にそう呼ばれるのは好きだった。
 だからと言ってそのまま受け入れることは出来ない。
「……俺は教師だ」
「堅物ですね……これでも私、じっくり待っていたんですよ」
 しのぶもしのぶでいつ声を掛けようか悩んでいたのである。そもそも自分だけ記憶を覚えてたら悔しいし、それはそれで悲しいし。
 けれどそれは杞憂だった。義勇が教師として赴任してきた日、偶然ではあったけれど廊下ですれ違った。
 あの衝撃をなんと言えばいいのだろう。
 目と目が合って、電流が流れたようだった。そしてそのとき確信した――義勇もしのぶを覚えていると!
 まあ、その後、暴力教師で名を馳せると思いませんでしたけどね。
「そして、そんな言い訳で(のが)しませんけど」
 義勇の首に手を回す。
「……こ、こら。せめて卒業まで待て」
 慌てて義勇は立ち上がるが、しのぶは回した手を外さない。背の高い義勇相手に必死らしい。
 そのまま互いのバランスが崩れて、そのまま義勇はしのぶ毎落ちる羽目になった。咄嗟にしのぶを庇いながら倒れずにはすんだが、床に座る羽目になり、距離は余計に縮んだ。
「胡蝶、怪我は……」
「無いです、義勇さんが庇ってくれましたから」
 誤魔化そうとしても無駄ですからね。義勇さんのこと、口下手のくせにお喋りな人だって知ってるのは私だけなんですから。
 実際に心配してくれてることは分かっているけれど。
 何とか体勢を立て直している義勇にしのぶは更に迫り、
「それで続きですが、嫌です。それに待てってことは私を意識してくれるって証ですよね?」
 しのぶはきっぱり断りながら言う。ここはもう押したもん勝ちですよ。実のところ、地味に人気があるのだ、この人は。
 去年のバレンタインデーを振り返ってもそこそこチョコを貰っているのを知っている。いきなり渡すのはどうかと思ってしのぶは渡せなかったが。
 今思えば何故そんな遠慮をしたのか……
 そして今、しのぶは高校三年生――卒業すればもう逢えなくなるかも知れない、他の誰かに取られてしまうかも知れない、そう思ったらいても立ってもいられなかった。
 だから今日、思い切って行動に出たのだ。
「だって義勇さん、黙ってればもてるんですからね」
「おい、褒めてない……」
 義勇にしてみればどう聞いても褒め言葉になってない。
 今まで大人しくしてたとは思えないしのぶの行動に戸惑ってもいた。
「……あの日は手を出したじゃないですか」
 義勇の耳元でしのぶはそう囁く。いつのこととは言わないが、
「時代が違う……」
 無粋なことを、と義勇は思う。実際、あの時は違うのだから。
 が、しのぶはそんな程度では引き下がらない。
「私、二月が来れば十八ですよ? 大丈夫です、問題ありません」
「……胡蝶……」
「しのぶ、ですよ!」
「お前な……」
 義勇にしてみれば理由(わけ)が分からない。
 今までせいぜいすれ違い程度だった距離が今日になって一気に縮んだのだから然も有りなん。
「本当に不器用なのは変わりませんよね」
「放っておけ」
「放っておけませんよ」
 そう華やかに微笑って、
「大好きなあなたのことですから」
 そのまましのぶが義勇を抱き締めると、義勇は思わず抱き締め返していた。何というか本能的に。抱き返している自分に驚きながら。
「捕まえましたからね、義勇さん」
 そんな声が聞こえた。
 
 ――その後、義勇はしのぶに強引に自分の住所を聞き出される羽目に陥ったのはいうまでもない。
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