「……そうですか、分かりました。しのぶをよろしく頼みます」
電話の向こうから妹を心配しているカナエの様子が窺えた。彼女には簡単に説明しただけだが、しのぶの今の状態を理解はして貰えたようだった。
ひとまず連絡を終えた義勇は恋人に尋ねる。
「しのぶ、歩けるか?」
「……大丈夫です、義勇さんがいてくれるから」
本人はそう言うが、先程より落ち着いているとはいえ、又震えが止まらないようだった。
「無理はしなくていい」
どう見ても大丈夫な状態ではなく、このまま帰りの電車に乗るのは難しそうだと義勇は感じていた。
どうするかを考え倦ねてながらしのぶを支えて公園を出ると、折良く空車のタクシーが通ったのでそれを呼び止めた。
「これに乗ろう、少し我慢出来るか?」
義勇がそう尋ねると、しのぶはこくんと頷いて車に乗り込んだ。
彼も続いて乗ると、運転手に自分の自宅までの住所を伝えて後はしのぶの様子を窺う。
「……直ぐ着く」
「……はい」
言いながらもしのぶは彼の腕にしがみ付いて離れず、震えていた。少しでも落ち着くように彼女の手を反対の手で握り締めてやる。そうすることで少しは落ち着くようで、義勇は安心する。
「彼女さん、調子悪いのかい?」
気分の悪そうな少女の様子が気がかりになったのか、タクシーの運転手がそう聞いてきたので義勇は肯定した。
「ああ、だから急ぎで頼みたい」
「あいよ、出来るだけ急ごう」
人の良さそうな運転手はそう言い、その言葉どおり通常より早い時間で彼のアパートに到着した。
「感謝する、釣りはいらない」
そう伝え、金額を聞く前に礼を籠めて多めに渡し、二人で車を降りた。
多過ぎるよと声がしたが受け取って欲しいと告げ、納得して貰う。
タクシーを見送った後にしのぶを連れて自分の部屋へと入ると未だ震えている彼女を抱き締めてやる。
「……ごめんなさい」
小さくしのぶは謝った。折角のデートを駄目にしてしまった。けれど自分でも分からないくらいに恐怖の感情が消えず、震えが止まらない。
「謝ることはない。お前に非はない」
彼女の頭を撫でながらそう言った。実際、しのぶが悪いことなど一つも無いのだから。それだけの恐怖を思い出せばこうなるのも致し方ない。
「……話を聞いて貰ってもいいですか」
暫く彼の胸に顔を埋めていた彼女が静かに尋ねた。
「……ああ、分かった。その前にとりあえず上がれ」
「はい……」
立ち話をするような状態ではない上に今にも倒れそうな彼女を直ぐにでも休ませてやりたかった。
彼女を座らせ、落ち着かせるためにも茶を入れようとお湯を沸かそうとするが、いつの間にかしのぶがやってきて義勇を背後から抱き締めてきた。
「危ないぞ?」
「……仇、は取れたんです」
そうぽつりとそう呟く。何処から話せばいいか分からずとりあえずそれだけを伝えた。
「……ああ、お前が姉の仇を継子たちと共に倒したことは知っている」
だが、残念ながらその戦いの全てを知ってるわけではない。あの戦いの後にカナヲと伊之助から聞いただけである。
「……そうですか」
「だから無理に話す必要は無い……」
湯を沸かすのを諦め、しのぶに向き合ってそう言ったが、それでも彼女は話を止めようとはしなかった。
「……あの時、あの時は必死でしたし、姉さんの敵を取りたい一心で動いてたようなものです。勿論柱として鬼を、上弦を倒す目的を見失っていたわけではありませんが」
「……知っている」
言いながらしのぶを抱き上げて、元々座っていた場所に戻してやり、自分もその傍に腰を下ろした。
「我ながら悍ましい最期だったと思います。ただもしあの時に戻っても同じことをしたでしょうけど」
「お前ならそうするだろうな」
そして俺はお前を止められない……
それでも仮にともに戦えていたのなら違っていただろうか。あの時無惨により散り散りになってしまったが、完全にバラバラにされたわけではなかった。故に可能性がゼロではなかっただろう。ただ今更の話ではある。
「……そうですね。あなたがいてくれたら……違ったかも知れない……」
しのぶもやはり同じことを考えたらしい。そうであればどうだったのかと。
「けれど……あの戦いを後悔してるわけではありません。あのとき既にそれしか選択肢はありませんでしたから。……今世では鬼もいませんし、姉さんもちゃんと生きてますし、違っているのは理解ってはいます。ただ今の私はそれを怖いと思ってしまうんです」
「それが当然だろう」
前世の戦いを怖く思って何が悪いのか。義勇とて昔と同じようには戦えないだろう。
今を生きている誰もがあの時代とは違う人生を歩んでいるのだ。
「何より……何より一番怖いのは……又あいつが現れたりしないかと急に不安になったんです」
さっき絡まれた少年達の軽さで鮮明に思い出した記憶――人を人とも思わない、救ってやるとまで言い放った悪鬼。
挙げ句に惚れた、一緒に地獄へ行こうとまで誘われたのである。
あいつに再び幸せを壊されてしまうのではないかという不安が頭を過る。
「皆と、義勇さんと逢えたのは嬉しいんです……! でもあいつは地獄に一緒にいこうと無邪気に言い放った、子供が手に入れた玩具に執着するかのように、です。名前すらまともに覚えてなかったくせに!」
「――っ!」
「あんな殺し方をした私に『恋』をしたとまで言って侮辱をしたんです!!」
このことは誰にも話したことはない。誰にも言いたいと思ったことがなかったからだ。
もしも昔のように何かを、或いは誰かを喪うことがあったら怖くて、悲しくて堪らない。そしてあんな奴に脅えている自分が何より情けなかった。
「そいつがお前を苛むのか、それでお前がそんなに苦しむのか」
低く響く声で彼は言うと同時に腹の底から怒りが湧いてくる。
しのぶが何故苦しまなくてはいけない? それも禄でもない奴のために!
だから決めた、彼女のためになら何でもしようと。
……義勇さん、怒ってるの?
そう思い彼の顔をそっと覗き見ると、その表情には怒りが見えた。
「……そいつに何もさせやしない。俺が何があっても護ってやる。そもそもお前は一人じゃない。胡蝶姉や妹もいる。他の奴らもだ」
静かに、強くそう告げ、彼女を抱き寄せた。
そうか、私のために怒ってくれてるんだ……
そう思うととてもほっとすることが出来た。
大丈夫、私は一人じゃないんだ……甘えていいんだと。
必死に虚勢を張る必要ももうない。あの頃の私に言ってあげたい、今はこんなに幸せなんだよと。
「だから素直に泣いて構わない」
「……え?」
いつの間にかしのぶは泣いており、義勇はその涙を優しく拭ってやる。
「義勇さん……」
「俺の前で我慢しなくていい」
しのぶを包み込むように抱き締め、そう優しく言う。
彼の温かみが嬉しい。抱き締められているだけでさっきまで感じていた恐怖が消え去る気がした。
目一杯、彼に抱き付いてそのまま感情のままに泣き出す――声を出して、
「ずっとずっと……!」
それ以上は言葉にならず、あの時閉じ込めてしまった感情を解き放つようにして泣いた。
彼女の泣き声に悲痛な叫びだと、どれだけのことを我慢をしていたのだろうと義勇は思う。
優しく彼女の頭を撫で、その感情を全部受け止める。
「……それでいい」
その一言でしのぶは救われる――ありのままでいていいのだと彼が言うから。