「ただいま」
玄関からカナヲの声が聞こえてきた。思わず義勇と見合うが、何とも言いようがない。
「誰かお客さんですか? 知らない靴が……」
パタパタと走って、居間にやって来たカナヲを詰めて平静を装いつつ、しのぶは迎える。
「お、おかえりなさい、カナヲ」
「ただいま、しのぶ姉さん。昨日は帰って来なかったか……ら……え?」
居間に入るなり、カナヲが硬直していた。
普通は驚くだろう、家にいるはずのない人物がいれば。
「……冨岡先生?」
「……邪魔してる」
義勇はぶっきらぼうに答えるが、他に言いようもない。
「い、いらっしゃいませ」
どうにも気まずい空間が流れる中、
「あら、カナヲ、お帰りなさい。ちょうどいい時間ね」
カナエが明るく入ってくる。
「さぁさ、夕飯の支度出来たからいらっしゃいね」
説明を求めたいカナヲがカナエを見るが、にっこり微笑うだけである。
「今日は賑やかになりそうで嬉しいわ」
「ぎ……冨岡先生、こちらへどうぞ」
「ああ、分かった」
ひとまずしのぶが義勇を食卓まで案内する。会話するにもカナヲがいるので会話の選択が難しい。
「カナエ姉さん、しのぶ姉さん」
「先に食べちゃいましょう! ね?」
カナヲが何か問う前にカナエがそう言うので何も言えなくなる。カナエが食事の時間と言ったら食事の時間なのである。
四人で囲む食卓は妙に静かだった。
会話をしようにもどうにも気まずい雰囲気であり、それを意に介さないのはカナエくらいである。
「お味はどうかしら? しのぶと又違うと思うけど、遠慮せず食べて下さいね」
しのぶ姉さんと違う味? どういうこと?
カナヲが訝しんで二人を見遣るが、しのぶと義勇は彼女からの視線を感じながらも無言を貫く。
今何かを言えばカナエに何を言われるか分からない。
「お、美味しいでしょう? 先生」
「ん、ああ」
とりあえず問題ない会話を振れば、義勇もぎこちないながらも答えてくれるのでしのぶとしては安心する。
そんな空気の中、食事をしながら義勇は姉妹だからだろうか、味付けはよく似ていると感じていた。ただ彼の好みはやはりしのぶの方なのだが。
「冨岡さん、しのぶが作ったものでないからごめんなさいね」
「……いや、十分旨いが」
何故分かったとは聞かない。そして嘘は言ってない。
一方のしのぶはそれを聞いて我知らずにやけてしまう。
それって私の味の方が好みってことでいいんですよね。
来週はご馳走にしようとしのぶが思っていると、カナヲがじーっと二人を睨んで言う。
「何がどうなってるんですか?」
「後でちゃんと説明するから、カナヲ。ちゃんとご飯を食べちゃいなさい」
そう言われては食事に集中するしかない。
四人の盛り上がらない食卓は静かに続く……
‡ ‡ ‡
食事が終わるとカナエが食後の御茶を淹れ、席に座るとすぐさま本題に入った。
「カナヲ、実はね、しのぶはそこにいる冨岡さんと付き合ってるの」
「…………え」
まるで明日の特売はみたいな軽やかな物言いにカナヲは何と反応すればいいか分からない。
「お付き合い……」
つまりは男女のと言うことでいいのだろうか。
そこで思い当たるここ数週間に渉るしのぶの行動の謎。
「もしかしてこの頃、毎週遅い日があるのって」
部活にしては学校にはいないと思っていたけれど、まさか異性の、しかも教師の家に行ってるなんてとカナヲは驚いていた。
「はい、その通りです。義勇さんちに行ってます」
「胡蝶……しのぶに夕飯を作って貰ってる。後、弁当も」
そういえば冨岡先生の新しい噂を聞いたことがあるとカナヲは思った。この頃、パンでなくてお弁当になってるって。
「……しのぶ姉さんがお弁当を毎日作っていたのは」
今までカナエがずっと作っていたのにこの頃はずっとしのぶが作っていたのを思い出す。
一つ見慣れない箱があるのは気が付いていたけれど、まさかそれが義勇のものとはカナヲは思ってもみなかった。
「いつからですか? いつから姉さんと?」
「いつから……」
そう言われると答えづらい。再会したとき? それとも押し掛けた日だろうかとしのぶが考えていると、義勇は横から答えた。
「……昔からだ」
「ちょっと義勇さん?」
「以前からしのぶを想ってはいた」
え、姉さんの名前呼びなんですか……そう言いたかったが、それより以前からの物言いが気になった。
「……冨岡先生も覚えてるんですか?」
カナヲがそう言うが、その意味を改めて問う必要もない。
「……そうだな」
―忘れようにも忘れられねえわな―
ああ、その通りだ、宇髄。
「あの時は俺に余裕がなかったからな。しのぶから言われるまで気が付きもしなかった」
「姉さんから告白ですか」
ちらりとしのぶへとカナヲが視線を送ると、しのぶの顔が赤くなっているのが分かった。
「いえ、あの、それは……そうですね、私からお誘いしましたから」
あれは最後の想い出が欲しい一心で彼を誘った――もっと欲張りになっちゃいましたけど。
「……思い返してももう少し早くしのぶと話せば良かったと後悔してる。だから今も話すことは苦手だが、逃げたくはない」
「……義勇さん」
カナエやカナヲを前にしながらもそれだけの思いを籠めて言ってくれることがしのぶはとても嬉しかった。口下手だけれど、その分多くを隠してきた彼だから。
「それでね、カナヲ。このことはここにいる私たちだけの秘密ね。時折しのぶがいなくても心配しなくていいから」
心配をしていたでしょうとカナエが言うと、こくんと頷くカナヲ。
「又いなくなってしまったらって思うと怖いです」
それは以前の記憶が齎す恐怖――カナエ、しのぶを喪って、生き残った悲しみと入り交じる。
「冨岡先生、しのぶ姉さんを幸せにしてくれますか」
「……努力する。今度はともにずっといたいと思っているからな」
この先は長いのだから喧嘩もするだろうし、他にも何かあるかも知れない。安易に幸せにしてやるとは言えないが、それでも彼女のいない人生は考えられない。
「有り難うございます。私もです」
そのやりとりを聞いているだけでカナヲは自分まで照れくさくなる。
じ、自分もいつか炭治郎と……
慌てて首を振る。今はそんな場合じゃとは思うが、年頃の女の子である。想い人とそうなれたらいいなとはやはり思う。
そんな中、突然カナエが何やら持ってきて、見せびらかした。どう見ても悪趣味の塊のような壺である。
「さて! しのぶと富岡さんの話も纏まったことだし、みんなに相談があります! これね、学校で悪さしてる妖怪?を封じた壺なんだけど可愛いから持って帰ってきちゃった♪ 是非是非、我が家の玄関に飾ろうかと思って♪」
カナエがにこやかにそれを見せると悲鳴を上げてしのぶは義勇に抱き付いた。
突然のことだったが、何とか受け止めて義勇は脅える恋人を抱き締めてやる。
昔はこんな怖がりではなかったはず……だが、この怖がり様は本物だ。さては胡蝶姉、前科があるな……
「ね、姉さん、それをうちに置くなら私、今日から義勇さんちに行きますからねっ! 絶対に帰ってきませんからねっっ!!」
「しのぶ、落ち着け」
「嫌です、怖いです!」
彼女の頭を撫でてやりながら、
「胡蝶姉、それはどこか別の場所に置いてくれ。でないとしのぶが怖がる」
義勇はカナエにそう頼んだ。
「可愛いのに……」
非常に残念そうに言うカナエにカナヲが首を振りながら言う。
「カナエ姉さん、私も嫌です。何か見えます、見えます!」
カナヲは元から目がいいので普段からも何かしら見えるらしいが、その彼女が言うのだからしのぶにとっては更に恐怖が増す一方である。
「見たくないです、見たくないです!」
「大丈夫だ、何も見えてない。何もいないから安心しろ」
義勇がそう言って何とか宥める。
「胡蝶姉、今直ぐ隠してくれ。でないと俺が割る……」
「割っちゃ駄目ですよ、出てきちゃいます。それにしても本当にしのぶったら怖がり屋さんなんだから……分かったわ、別のところに飾りましょう。うん、心当たりはありますからそこで飾りますね」
名残惜しそうに壺をしまいながら言うカナエの心当たりとはどこなのか……三人とも敢えて聞きたくない――そう思うのだった。